市川三郷 観光情報
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旧所名跡

平塩の岡

平塩の岡

平塩の岡は、甲斐源氏発祥の地。甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の三男、源義清が居館を設け住んだといわれる平塩岡の館(ひらしおおかのやかた)があった場所です。甲府盆地を一望できる岡の上には甲斐源氏発祥の記念碑が建てられています。
  JR東海「市川本町駅」の南、山側一帯の台地を平塩の岡呼んでいます。この上に立つと旧市川大門の町並みとその向こうに広がる甲府盆地、さらに視界をさえぎる南アルプスの大きな山並が見えます。

宝寿院

宝寿院の桜と鐘

樹齢200年の見事なシダレザクラは、老木であるがピンクの花がしだれる姿は、春の美しい風景をかもしだします。(見頃は、3月下旬〜4月上旬)
 宝寿院の鐘は、古くからこの地方の時を知らせる鐘です。寺では1日5回、定刻に鐘を突き、「宝寿院の鐘」として近隣の人に親しまれています。

【アクセス方法】 電車:JR身延線市川本町駅から徒歩5分
車:中央自動車道甲府南ICから車20分
市川陣屋跡

市川陣屋跡

巨摩、八代郡を支配するため1765年(明和2年)に設置された市川陣屋(甲州市川代官所)。当時は代官の居間に加え、手代取締や公事方などもある堂々とした建物でしたが、現在では御門だけが残され、往時の隆盛ぶりを偲ばせています。昭和8年、当時長屋門の御門だけが現在地に移設されました。

【アクセス方法】 電車:JR身延線市川本町駅から徒歩2分
車:中央自動車道甲府南ICから車20分
一条氏塁跡
一条信龍は武田信虎の八男、信玄とは異母兄弟で「甲陽軍鑑」に、甲斐源氏の一門の名族一条氏の名跡を継ぎ、旧一条の庄(甲府市東南部)を支配、信玄の代騎馬百騎を預る侍大将として活躍、永禄10年(1567)以降甲軍の副将格で信玄を補佐、天正10年(1582)年3月武田滅亡の直前、上野城にたてこもり、駿河路から侵入する徳川家康と戦ったが、子の信就とともに戦死したものと伝えられている。
【アクセス方法】 JR身延線甲斐上野駅より徒歩10分
車:中央自動車道 甲府南ICより20分
中部横断自動車道 増穂ICより10分
大塚古墳群
数々の古墳がつくられた曽根丘陵。この丘陵に属する大塚地区にも、円墳(伊勢塚・鳥居原狐塚)と前方後円墳(エモン塚・大塚)の古墳が残されています。
  古墳の中からは、馬具・鈴付腕飾り・直刀・六鈴鏡・甲冑・埴輪・須恵器など、興味深い出土品が発掘されています。特に、鳥居原狐塚から発掘された神獣鏡には「赤烏(呉の年号)元年五月二十五日」(238年)の日付が記され、古墳鏡の中でも最も古い部類に属しています。
表門神社
表門神社は市川文殊とも呼ばれ、知恵文殊の神様として知られています。本殿は三間社流れ造りの建築様式で、桃山期の作風を残していますが、各部分の様式や棟札から、現在の社は江戸中期元禄8年(1695年)の造営であることがわかります。
  同じ境内にある神楽殿も同時期に造営されたもので、祭りの日には記紀神話に基づいた神楽が催されます。神社の中でもっとも古いものは、石鳥居。その意匠から鎌倉期のものと推定され、がっしりと重厚で風格のある鳥居です。