山中湖村
(見どころ)

  1. 文学の森(平野)
    徳富蘇峰館 0555-20-2633
    三島由紀夫文学館 0555-20-2655
    ゆかりの思想家徳富蘇峰(1863-1957年)の徳富蘇峰館、村所蔵の資料を中心にした三島由紀夫(1925-70年)の三島由紀夫文学館をメーンに、文学碑をぬって歩く自然散策路など総面積8haの文化拠点。蘇峰館は、1996年に蘇峰の孫敬太郎さんから寄贈された書簡など約1200点を展示、蘇峰と周辺の人々を学べる。三島文学館は、村が96年に購入した「豊饒の海」創作ノート20冊、原稿、遺品など約400点を展示。閲覧室や研究室も設け、三島文学の研究拠点になっている。またファンも多く訪れる。
  2. 日本画家・加倉井和夫氏(山中505)
    国内を代表する日本画家。1919-95年。品格高い白を効果的に使い、詩情や清浄さを醸し出した作品群は「白の世界」と形容された。75年に村に移住。富士北ろくを「第2の故郷」として愛し、自然の中で画作に専念した。富士山ろくで制作した作品に「青苑」「春朧」などがある。90年に名誉村民の称号を贈られた。日展で特選、菊華賞、桂花賞を次々と受賞し、常務理事を務めた。日本芸術院会員。
  3. 徳富蘇峰と旭日丘命名碑(平野)
    蘇峰は熊本県出身の思想家で「民友社」の設立者。32年に湖畔に山荘「双宣荘」を建て、47年まで毎年夏を過ごした。代表著書「近代日本国民史」もここで執筆。山荘のある湖畔を「旭日丘」と名付けて愛した。弟の蘆花は作家。
  4. 高浜虚子句碑(山中)
    「ホトトギス雑詠選集」のために1937-57年まで毎年夏に山中湖を訪れていた高浜虚子(1874-1959年)は地元の俳人らとの交流もあった。碑は、宮下伝奇や柏木白雨ら地元の俳人たちでつくる新蕎麦(そば)会が中心となって34年に建立。除幕式には虚子自らも出席し、そばを打ち、桑の葉のてんぷらを食べたという。「選集を選みしよりの山の秋」と刻まれている。
  5. 富安風生句碑(山中湖周辺)
    高浜虚子没後のホトトギス派の最高峰となった富安風生(1885-1979年)。風生主宰の句誌「若葉」には県人も多数参加、風生はこうした俳人たちの指導に当たりながら自らも富士山の句を詠んだ。村内には山中湖簡易保険保養センター内、山中諏訪神社境内、ホテルマウント富士内、かじや荘内、寿徳寺内、撫岳荘裏、名古屋相互銀行寮庭の7カ所に句碑がある。山中諏訪神社境内には「女とは 母とハ 安産まつりかな」と、寿徳寺内には「赤富士に露 滂沱たる 四辺かな」の句碑がある。
  6. 三浦環の墓(平野147)
    オペラ「お蝶夫人」を世界中で2千回にわたり公演した国際的オペラ歌手・三浦環(1884-1946年)は、43(昭和18)年に母と一緒に山中湖へ疎開し、晩年を過ごした。墓碑には「うたひめは 強き愛国心をもたざれば 真の芸術家となりえまじ」という自筆の歌が刻まれている。近くには88年に建てられた記念碑もある。
  7. 山中明神安産祭り(山中)
    山中諏訪神社の秋の例祭で9月4日に宵祭り、5日に本祭りが行われる。神社の祭神豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が、子育てや安産の神であることから安産祭りとしても知られ、妊婦が御輿(みこし)を担ぐとご利益があるといわれている。宵祭りには、御輿への御霊(みたま)うつしが行われ、お旅所までの村内を練り歩く。本祭りには再びお旅所から神社までを御輿が歩き、白足袋を履いた妊婦や生まれて間もない子を持つ女性らが、ご利益を願って御輿にすがりつこうとする光景が見られる。
  8. 寿徳寺の紙本著色星曼荼羅(まんだら)(平野147)
    掛幅装で本紙は縦112cm、横87cm。内院、第2、3院、外院の月輪中に計70体の尊体が配置されている。細部の表現が繊細で優れており、桃山前期の作と推定される。1842(天保13)年に補修などをしたという墨書がある。寺は臨済宗。鎌倉時代に高僧、美山玄誉禅師が開き、1561(永禄4)年に武田家の祈願寺として加護を受けた。県文化財。
  9. 山中湖高村美術館(山中208)
     0555-62-0001
    「クラシックカー」「日本画」「アールヌーボー」の3つのコレクションが柱。クラシックカーでは29年製ロールスロイス・ファントムTセダンなど、アールヌーボーでは19世紀末のフランスのガラス工芸家エミール・ガレやドーム兄弟のガラス工芸品、日本画は横山大観や川合玉堂らの作品を展示している。企画展も随時開いている。
  10. 山中湖美術館(平野493-81)
     0555-62-0793
    建築家大杉喜彦さんが設計したコンクリート打ちっ放しのモダンな外観のミュージアム。ロートレック、ピカソ、シャガールなど世界の巨匠から、恩地孝四郎、長谷川潔ら国内作家の版画作品まで多彩なコレクションを持つ。企画展も盛ん。
  11. 石割神社(平野)
    石割山の8合目(1070m)に建つ。主祭神は天の岩戸を開いた天夫手力男命(あめのたじからおのみこと)。神社の近くに漢字の「石」の字に割れた巨大な岩がある。無理やり引き裂いたような不思議な割れ方。岩のすき間を3回くぐると無病息災のご利益があるという。割れ目からの霊水は眼病や皮膚病に効くとされる。周辺では蜃気楼(しんきろう)が見られることも。例祭は4月9日。
  12. 山中口留番所跡(山中)
    篭坂峠を越えて甲斐、相模、駿河を結んだ、かつての塩入れ道の出入りを取り締まっていた番所の名残。江戸時代には関所として代々関主が世襲、関門の敷石や沓(くつ)石などが今も残っている。
  13. フジマリモ生息地(平野)
    マリモはシオグサ科マリモ属の糸状線藻で、北海道など高緯度寒冷地帯に生息する。山中湖では56年、山中小の理科の授業で発見され、長崎大の岡田喜一教授が調査。北海道阿寒湖のマリモの変種「フジマリモ」と名付けられた。県内では初の発見。水深3-5mで富士山からのわき水により回転して丸くなる。県天然記念物なので採取禁止。土産店で売っているのは養殖マリモ。
  14. ハリモミ純林(山中)
    ハリモミはマツ科のトウヒ属で、高さ約30mの常緑針葉高木。葉の先が鋭くとがっていることからこの名がある。純林は山中湖北側の鷹丸尾溶岩流上に生育した原生林で、ハリモミ一種類が85%以上を占める純林が形成されることは珍しい。国天然記念物。60(昭和35)年以降、立ち枯れが目立ち始めており、国、県、村は97年に「ハリモミ純林保護管理協議会」を発足させ純林の再生に取り組んでいる。