山中湖村

「白鳥が暮らす湖」 冬には北海道からも飛来
 優雅に泳ぐハクチョウの姿が富士を背にした湖に似合う。1968(昭和43)年、湖畔の別荘の住人がつくる「山中湖会」が山口県から6羽を取り寄せ、放したところ住み着いた。毎年10〜20羽ぐらいのひなが生まれる。70年からはクリスマスの前になると、北海道の尾袋沼からオオハクチョウが飛来するようになった。湖はさながらハクチョウのパラダイス。え付けされて人に慣れ、湖畔を訪れる人々から愛されている。

「日本の別荘地の草分け」 昭和初めに開発着手
 1927(昭和2)年ごろ、現在の富士急行が県と旭日丘の県有地の借地契約を結び開発に着手したのが別荘開発のはしりといわれ、歴史は村内の民宿、旅館などより古い。日本を代表する神奈川・箱根、長野・軽井沢と並び、別荘地の草分け的存在といえる。山中湖周辺にはそれ以前から東京大などの寮があり、避暑地としては利用されていたが、東海道に近く箱根、富士五湖を結ぶ周遊ルート上にあったことなどから、昭和初めごろからは観光地として次第に注目されるようになっていった。29年には初めて貸別荘が登場。太平洋戦争中は一時下火になったものの、戦後、55(昭和30)年の富士箱根伊豆国立公園の指定、59年の当時の皇太子のご成婚を機に広がったテニスブームなどを背景に別荘の数は増加した。67年には約12050戸だった別荘が、75年には2千戸を突破、94年には、約4千戸に達し、国内有数の別荘地といわれている。