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甲州織のできるまで

変遷

 西暦1600年頃戦国時代、郡内地方は徳川家康の領地となり、西の守りの要として作られた、谷村城の城主として1633年(寛永10年)3代将軍徳川家光の重臣、秋元但馬守泰朝(やすとも)・富朝(とみとも)・喬知(たかとも)3代にわたって藩主として治めていたとき、里人の副業として細々織られていた織りものに目を付け、この織物を生かして富める里にする為、自分の出身地の上州総社(現在の群馬県前橋市)から絹師といわれる織物の技術者を招き、絹糸を作ってくれる蚕の餌となる桑の木を取り寄せ、里人や貧しい下級武士の奥さんに機(はた)を織る技術を教え、織りあがった反物を藩主自ら江戸や京、大阪に土産として持って行き宣伝したおかげで日本全国に郡内)縞(後の甲斐絹、甲州織)の名が知られ、大勢の商人が谷村の市に集まり大変繁盛し、甲州織の産地としての基礎を築きました。
 明治29年谷村高校の前身である南都留郡染織学校が設立。また、同年には、南都留郡甲斐絹同業組合が設立され、明治31年に谷村織物工業協同組合と改名され、現在に至っております。
 大正7年、織る前に経糸(たていと)へ絵模様を染めてから織る"ほぐし加工織物"が考案され都留地区でほぐし加工の夜具地・座布団地が好評、昭和初期まで織られました。
 近年は、クールビズなど時代の流れから、織物業者にとっては、非常に厳しい時代でありますが、新しい分野の織物に都留の業者が真剣に取り組み、洋傘地、羽毛布団地・ネクタイ・マフラー・ショール・婦人服地・インテリア等々種々の織物が生産されております。

産地の紹介

 都留市は、昭和29年4月29日谷村町を中心に1町4カ村が合併し誕生しました。山梨県東部地域に位置し、平成の名水百選に選定された「十日市場・夏狩湧水群」に代表される豊かな緑と清らかな水の溢れる自然環境に恵まれた城下町の面影を残す小都市です。
 現在は、世界に誇るリニアモーターカーの実験線の拠点基地があることで知られるとともに、人口3万5千人規模の都市では、全国唯一と言える公立大学法人都留文科大学を擁し、学術と文化、芸術が融合した知的風土を醸し出すまちであります。

三百年の歴史を生きる甲斐絹のふるさと都留

~~~深みある色調を生む先染めの伝統技法

 甲州織の独特の美しさの秘訣は「先染め」にあります。原糸として生糸、化合繊維などを使用し、その素材のもつ良さをいかして決められたデザインに従い、タテ糸、ヨコ糸をそれぞれ織る前に、糸の段階で染色する“先染め”。ちょっとした斑染めも許されないこの方法は、厳格な工程とカンの作業です。糸を先に染めるため、その織物には実に深みのある色や独特の変化があり、甲州織の特徴になっています。このほか、タテ糸を一定の幅、長さ、本数に揃える整経の時、施される独特の“ぬれ巻”の技術や手織と変わらない味を出す製織の質の高さなど、甲州織の品質良さは折り紙つきです。

工程 (抜粋)


1.企画デザイン
手書きではなく、コンピューターシステムをフルに活用した意匠づくりも行われています。



5.染色
デザイン性の根源は色にあります。さらに先染めの甲州織では、この工程の技術が品質・風合に大きく影響します。”かせ”になった糸を先進技術を駆使した染色機によって染色しています。


6.繰返し
染色工程で染め上がった”かせ”状態の糸を整経工程のために、ボビンに巻き返す工程です。



7.整経
織物設計に従って、たて糸の本数・長さ・密度・幅及び縞柄.などを整え、男巻に巻きます。多品種・少量・短納期生産に応えるようマイコンを応用した全自動整経機の導入なども進んでいます。


11.製織
甲州織に生命を与える最も重要なプロセス。高性能の力織機で主としてジャガードを使い、よこ糸たて糸を交差させ、紋織物が織られていきます。


15.整理
織り上げられた布は、消費性能をアップするため必要に応じ、防水・防シワ・防炎・防汚れ・防縮・樹脂加工などの仕上げ加工が施されます。