南部町の歴史 | 山梨県南部町商工会 「南部茶と筍と生姜が自慢の南部氏発祥の地」

 

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南部氏は武田氏と同じく清和源氏(河内源氏)の分かれ(分家)で、功績により甲斐の国南部牧を預かったとされ、これが南部町の始まりとされています。

南部氏は新羅三郎義光公から数えて5代目の子孫にあたる加賀美次郎遠光公(3代目甲斐源氏当主の弟)の三男、南部三郎光行公が南部氏の祖とされています。
新羅三郎義光公は、河内源氏の2代目棟梁である源義家公の三男で、その子源義清公が甲斐源氏の祖となり、後に武田姓を名乗ったのが甲斐源氏(武田氏)の始まりとなります。
南部氏は源義清公の玄孫に当たり、その家系は由緒正しいものであるといえます。

つまり、南部氏は鎌倉幕府を開いた源頼朝公と同じルーツを持つ源氏の一族です。また武田氏のほかに、小笠原氏、また常陸の佐竹氏(後に秋田藩主)もまた同じルーツを持っています。

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治承4年(1180年)、南部三郎光行公は石橋山の戦いで源頼朝に与して戦功を挙げたため、甲斐国南部牧(南部町)を与えられました。このとき、その地名にちなみ、南部姓を称したといいます。それ以降、南部氏発祥の地として、南部の町はその名と共に発展を続けてきました。

その後、平安時代末期の源頼朝による奥州征伐が始まりました。その際、奥州藤原氏討伐に南部三郎光行公もこれに従い、その功績として糠部五郡(現在の青森県から岩手県にかけて)を拝領し、建武二年十二月に糠部郡八戸浦に到着したと伝えられています。
豊臣から徳川の世に移る際、南部藩とも呼ばれた盛岡藩を与えられ、その発展に大きく寄与したと伝えられています。

有名な南部鉄器の名も、根を詰めていけば南部氏がルーツとなっていますしさらに掘り下げれば、山梨県南部町がその名のルーツになっています。また、名勝や祭事等にも多くの南部の名前が冠されていますが、これらルーツも然りです

山梨県と青森県。離れた位置にあるのにも関わらず、意外な部分で繋がっている・・・と考えると、非常に感慨深いものがありますし、興味深い歴史を探ることができ、非常に面白いと思いませんか?

なお、青森県三戸郡南部町は山梨県南巨摩郡南部町と同じく、南部氏をルーツとする町であり、山梨県南部町は南部氏発祥の町として、青森県南部町は南部藩発祥の地として、現在でも交流があります。

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